よかよか五島百景~黄島~
2011年10月03日付

その2
大浜村の宝島

黄島はかつて捕鯨と鰹漁業で賑わっていた。
捕鯨の歴史は210年におよぶ。
江戸時代(1736年)、生月島の益富又左衛門が
黄島で捕鯨をはじめたのを皮切りに、
次々と鯨組が操業された。

黄島にある延命院の住職、
山下雅真さんのお話によると、
全盛期は、黄島在住者はもちろん、
瀬戸内海や和歌山からの出稼ぎ者もあわせて、
総勢1000人ほどの鯨組労働者がいて、
遊郭も2件あったという。(ちなみに、大正2年の人口は1162人だった!)

当時は、鯨を解体した後、
鯨の骨についた肉を自由に取らせており(ホネハギ)、
山下さんの母親もホネハギをしていたそうだ。
山下さん曰く「あの頃は鯨が主食やった。」

これほどの隆盛を誇った黄島捕鯨も、
終戦後、鯨が少なくなったことや
捕鯨船の大型化などで、昭和21年にその幕を閉じた。

一方、鰹漁業も盛んだった。
島に鰹節製造工場があり、釣った鰹を黄島で鰹節にした。
多いときは1日数万本も製造していたという。
そのなかの上物は五島藩へ献上。
五島藩は、さらに選別して江戸幕府に献上したり、
大阪商人に売って藩の財源に充てていたそうだ。
その後、大正8年に鰹節製造工場が火災で焼失したころから漁獲も減ってきて、
鰹漁業は下火になっていった。

黄島は、昭和29年福江市発足に伴い「福江市黄島村」となるまでは、
「南松浦郡大浜村黄島郷」だった。
大浜村の宝島として大浜村の税金のほとんどを引き受けており、
『黄島・赤島、木と水さえあれば福江城下にゃ負けはせぬ』といわれていた。

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