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郷土の発展につくした先人たち
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たかみね じゅうのしん
十之進は、今から3 0 0 年ほど前、江戸( えど) 時代の中ごろ、五島各地の土木の仕事を進め産業の発展につくしました。
農業用のためいけをつくる
福江の翁頭山( おうとうざん) のふもとに、現在( げんざい)、農業用のため池として使われている翁頭池( 約4 ヘクタール) と大戸池( 約2 ヘクタール) があります。この大戸池の工事は、十之進が手がけた工事としてはもっとも大きなものです。
水田に水を送るだけでなく、周辺( しゅうへん) の猪掛山地( いかけさんち) をゆたかな水田 に変( か) えることを可能( かのう) にする大きな工事でした。
また、十之進の名前をとり「十之進開( びら) き」という地名が残( のこ) るほど、人々に喜( よろこ) ばれました。 大戸池と昭和( しょうわ)のはじめごろにつくられた翁頭池は、今でも本山地区( ちく)の農家の方に大切に利用( りよう) されています。遠いところでは、4 キロメートル以上( いじょう) はなれている野々切( ののきれ) 地区までおよそ1 4 0 ヘクタールの水田に計画的( けいかくてき) に配水( はいすい) されています。
翁頭山のふもとにある山戸池
橋をつくる
鰐川( わにがわ)の、橋の工事の責任者を五島藩( はん)から命( めい)じられ難( むずか)しい工事をやりとげたのも十之進でした。
鰐川は福江島の中央部にある山内盆地( やまうちぼんち)の水が集まり、岐宿湾( きしくわん)に流れており、県内でも水量( すいりょう)がとても多い川の一つで、大雨の時には激( はげ) しい流れとなり、橋は何回となく流されました。
満潮時には海水の逆流もあり、川をわたる岐宿の村の人々は苦( くる)しい生活を送っていました。困( こま)った村人は、藩( はん) に橋の建設( けんせつ) をお願( ねが) いしたのです。
十之進は、当時の技術( ぎじゅつ)では考えられないような方法( ほうほう) で橋を完成( かんせい) し、村人を救( すく) うことができました。
十之進は流れの速い、しかも、水量の多いこの川に橋をかけるために、水の力を受( う) けにくい橋の形を工夫( くふう) しました。 まず、長い縄( なわ) を両岸( りょうぎし) にわたし、まっすぐに引っぱりました。縄 は水の力を受け、持( も) つ人は力をこめなければいけませんでした。
十之進は、長い縄 のあまった部分を少しずつ川に流し、まっすぐにはった縄をゆるめていくようにしました。 そして、縄を伸( の) ばしたり、縮( ちぢ) めたりしながら、一番力のいらない所を見つ けました。その時に、縄の流されている形を見るとS の字になっていました。その縄の形 が一番水の力を受けにくいと思い、橋の形をS の字にしようと考えました。
しかし、つくっていこうとする橋のS の字の形を川に書くことはできません。どのよう にしてS の字の橋をつくっていったのでしょうか。 十之進は、S の字になっているゆるめた縄の所へ竹( たけ)を打( う)ちこんでいくよ うにしました。
その竹を目印( めじるし)にして橋づくりの工事を進めていきました。
土や木材(もくざい)を使わないで石を積(つ)んでいくだけの方法で完成した鰐川橋は、昭和31年、新しい橋ができるまでしっかりとした形のまま利用されてきました。
岐宿、福江間をつなぐ大切な道路として、その役目( やくめ)を十分に果( は)たしました
昔の橋のなごりを
残(のこ)す川ぞこの石
道路をつくる
このほかにも、地域の開発をたくさん行( おこな) いました。特に、道路の整備( せいび)に力を注( そそ)ぎ、岐宿、三井楽( みいらく)、玉之浦( たまのうら) 街道( かいどう)の道づくりを行い、産業文化( さんぎょうぶんか)の交流( こうりゅう)をさかんにしました。
 

 
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