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郷土の発展につくした先人たち
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こんどう じゅんきち
近藤淳吉は、 大正3 年(1915)から12年間、富江町長( 村長) として数々の仕事を行い、その成果を残しました。
先生から富江の村長へ
淳吉は、 慶応(けいおう)3年(1867)に生まれました。長崎師範学校を卒業すると、五島の日島( ひのしま) 小学校( 若松町) の先生になりました。その後、ふるさとの富江小学校の校長になり、 大正3 年、 村の人たちにすすめられて富江村長になりました。
 
 
町有林を育てる
当時の富江町〔大正11年(1922)富江村から富江町になる〕は、土地の約半分が開拓されていない山林でした。これは、町にとって大切な資源でした。町の森林のほかにそれぞれの村の山林もあったので、それぞれで手入れをしたり、 木を植えたりしていましたが、手入れなどが十分でないところもありました。淳吉は、それぞれの村の山林を富江町の町有林としてまとめました。町有林 では、荒れ地を整えてスギやヒノキの木を植えました。また、牧草地や雑木林の整理も行いました。それにより、りっぱな町有林が育ち、のちに町の大きな財産となって学校や役場など、いろいろな施設をつくるための資金を生み出しました。
 
防波堤をつくる
淳吉は、富江港の発展にも力をつくしました。当時の富江 港は漁業の中心地として発達していました。サンゴ、カツオがよくとれた時代には、 四国・九州各県の1000そうもの漁船が出入りしていました。しかし、富江港は荷あげ場がせまく、水深が浅いという不便さと、港の入口が広いために台風のときには、ほかの場所へひなんしなければならないという欠点がありました。港を新しく整備するには、当時の富江町 の予算の何倍もの費用が必要だったので、淳吉は国や県にはたらきかけました。そのかい あって、富江港の整備工事が始まりました。まず、小型漁船の船着場をつくりました。240メートルの海岸をうめ立てて水深を深くし、荷あげ場を広げ、 道路も整えました。 次に、5か年計画の大防波堤の工事が始まりました。240メートルの北防波堤、100メ ートルの中波戸( なかはと)、80メートルの南防波堤が完成し、強い風と大きな波から船を 守ることができるようになりました。うめ立て地には住宅や倉庫が建てられ、 港は次々に整 備されました。富江港は、 県内でも美しい港として有名になり、大きく発展したのです。 淳吉は、上下水道工事も完成させ、長い間水不足に苦しんだ町民を喜ばせました。
 
近藤淳吉は、3大事業といわれた植林、港、水道の事業をやりとげ、富江町の発展につくしたのでした。

 
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