シリーズ世界遺産への路~五島キリシタンの歴史~

~朽果てた教会堂:細石流~

No.33

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廃堂になった細石流教会(現在は無)

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ツバキの模様が見える内部

 かつて五島市内には、現存する20の教会のほかにもいくつかの教会が建っていました。
それらの教会は、様々な理由により廃堂となり、人知れず朽ち果てていったものもありました。その一つが久賀島の細石流(ざざれ)地区にあった細石流教会です。
もともと細石流地区では、信仰の自由が訪れた後、民家を利用しながら教理を学んでいました。しかし、信者数が多かったこともあって教会堂建設の気運が高まり、大正9年(1920)教会堂建設を計画します。当時の神父の努力により、大正11年に完成、献堂式が捧げられました。細石流教会堂の設計・施工は、当時教会堂建築の第一人者であった鉄川与助によるもので、建物は装飾的特色を強く表現しており、特に堂内の格天井や壁に飾られたツバキ風の花模様や装飾はより一層教会堂の清楚さを際だたせていました。
 教会建築の際には有名なエピソードがあります。細石流教会の材木のうち松材は久賀島産の松を切り出して用いましたが、杉材は島内で手に入れることができませんでした。そこで信徒たちは上五島青方に出向き、教会堂建設に必要な杉材を買い付けました。ところが、教会堂建築が順調に進んでいっても、上五島からの連絡がなく久賀島から船を出して様子を見に行ったところ、材木は切り出され製材されていたものの山中に放置された状態でした。信徒たちが途方に暮れていたところ、一天にわかにかき曇り、たちまち豪雨となりました。大水が川のように谷を流れくだるようになり、山中に放置された材木も一挙に積み出し港まで下ろすことができました。すぐに船積みをして出港の準備をしていると追い風が吹き始め、短時間で久賀島まで運ぶことができました。この時の出来事を人々は「これこそ奇跡である」と、皆口を揃えていったと言われています。
 しかし、幾度かの「奇跡」により無事に建てられ、ツバキ風の花模様装飾に彩られた清楚な細石流教会も急激な過疎化の影響で、信者数が激減し、ついには廃堂となってしまいました。  現在、細石流地区の樹木が深く覆い被さる山道を上っていくと、森が途切れて視界が開けた山頂付近に、草むらに覆われ倒壊し朽ち果てつつある細石流教会の悲しい姿がそこにあります。