五島を世界遺産の島に~長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産~

用語集

さくいん
足利幕府
【あしかがばくふ】
区分その他
足利氏が京都に開いた幕府で、鎌倉幕府の制度・機構をほぼ継承して発足し、1392年南北朝合体により全国統一政権となる。
応仁の乱以後は、群雄割拠する戦国時代を迎え、1573年15代義昭が織田信長に追放され滅亡。
天草四郎
【あまくさしろう】
区分人名
江戸時代初期のキリシタンで、わずか16、7歳で島原の乱の指導者とされている人物。幕府の攻撃で原城陥落時に自害したと伝えられている。天草四郎時貞という名で知られているが、本名はいくつかの説がある。洗礼名は「ジェロニモ」もしくは「フランシスコ」。
有馬
【ありま】
区分その他
島原半島南部の古地名。キリシタン大名有馬氏の本拠。セミナリヨが置かれた地。
有馬晴信
【ありまはるのぶ】
区分人名
肥前有馬の領主(日野江城主)で、1580年、洗礼を受けキリシタン大名となる。有馬セミナリヨを設立し、大村純忠・大友宗麟とともに天正遣欧少年使節を派遣。後にポルトガル船マードレ・デ・デウス号事件の後、岡本大八の策にかかり流配された。妻に見守られながらキリシタンとして斬首された。
アルメイダ
【あるめいだ】
区分人名
戦国時代末期、日本を訪れた若いポルトガル商人であったが、医師の免許を持ち、西洋医学を日本に導入した。日本で宣教するイエズス会士の言動に感じ、布教などを助け、私財を投じ豊後に育児院を開設。1555年にイエズス会の修道士となり、その後開設された総合病院で外科を担当し、外科技術を日本人に教え、その評判は関東地方にも及んだという。1566年には、領主の要請によりロレンソ了斎と共に五島に入り、その後許可を得て五島で宣教した。この二人によってフランシスコ・ザビエル来航から17年後に五島でのキリスト教の歴史が始まった。病弱ながら日本各地で布教を行い、1583年河内浦で死去。その3年前にマカオで司祭叙階されている。
イエス・キリスト 
【いえす・きりすと】
区分人名
イエス(イエズスともいう)の原意は「主なる神は救い」、キリストは「油注がれた者」の意。キリスト教の始祖で、その生誕年が西暦紀元とされるが、実際には多少差があると考えられている。キリスト教では、イエス・キリストは救世主(メシア)と信じられている。
イエズス会
【いえずすかい】
区分その他
スペインのイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらが1534年に結成し、1540年にローマ教皇の公認を得た修道会で、カトリックの東洋への布教を行った。日本の教会の復活後は日本における高等教育のために再来日し、現在、大学・大学院(東京)や各地の高校を運営すると同時に信徒の司牧なども行っている。
イエスの聖心
【いえすのみこころ】
区分人名
イエスのみ心に同じ
イエスのみ心
【いえすのみこころ】
区分人名
イエスのみ心は人類に対する神の愛の象徴としてイエスの心臓をあらわし、その信心はみ心をたたえて12世紀に始まった。また現在カトリックでは六月を「み心の月」として、特別に祝っている。
イコモス
【いこもす】
区分その他
国際記念物遺跡会議(こくさいきねんぶついせきかいぎ、International Council on Monument and Sites、略称 ICOMOS、イコモス)は、1965年設立された世界の歴史的な記念物、歴史的建造物および遺跡の保存に関わる専門家の国際的な非政府組織で、ユネスコの記念物および遺跡の保護に関する諮問機関である。
イザベリナ杉本ゆり
【いざべりなすぎもとゆり】
区分人名
浦上村(現長崎市)のキリシタン。イザベリナは洗礼名。慶応元(1865)年、大浦天主堂においてプチジャン神父に「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と自分がキリスト教徒であると告げ「信徒発見」を実現させた最初の発言者とされる。その後、他の浦上村の信徒たちと共に福山に流配されたが信仰を保って帰郷。
生年:文化10(1813) 没年:明治26.10.4(1893)
板倉重昌
【いたくらしげまさ】
区分人名
江戸初期の幕臣。1637年島原の乱鎮圧の指揮にあたったが成功せず、松平信綱が派遣されることを知って総攻撃を決行し、戦死。
イルマン
【いるまん】
区分その他
カトリック教会の修道士で兄弟の意味。従順、貞潔、清貧の三誓願というキリストにならう生き方をして修道会で共同生活をする男子の総称。
ヴァラレッジオ神父
【ばられっじおしんぷ】
区分人名
イタリア人イエズス会士で、ヴァラ・アレッサンドロと言う名だが、イタリア北部のロンバルディア地方のレッジオ生まれでヴァラレッジオとも呼ばれる。1568年6月に来日し、直ちに五島に派遣され、翌年7,8月頃まで五島で宣教。その後志岐で開催された協議会に出席したが健康が優れず離日。1580年リスボンで死去。
ヴァリニャーノ
【ばりにゃーの】
区分人名

(アレッサンドロ・ヴァリニャーノ)は、キリシタン時代、イエズス会の巡察師として日本の教会を指導したカトリック教会の司祭でナポリ王国の名門の生まれ。
天正遣欧少年使節派遣を計画・実施するなど、日本のカトリック教会の基礎を固めるために尽力した。

日本初期教会史においてザビエルに次ぐ偉大な聖職者といわれている。
宇久純定
【うくすみさだ】
区分人名
鎌倉時代から戦国時代にかけての宇久島から五島列島全域の領主が宇久氏。玉之浦納の反乱により一時衰退後、松浦氏の援助により中興を果たし、五島の江川城主となった宇久盛定の子が宇久純定。純定は晩年にキリスト教の布教を許可し、子の宇久純尭はキリシタン大名「ドン・ルイス」となったとされる。
宇久純尭
【うくすみたか】
区分人名
宇久純定の子。宇久氏19代当主。1566年宣教師ルイス・デ・アルメイダとロレンソが五島に来て布教をしキリスト教が伝わると、翌年モンチ神父から洗礼を受け、キリシタンとなり、1576年に家督を継いだ、キリシタン大名。洗礼名は、ドン・ルイス。墓は五島市の清浄寺とされる。
浦上教会
【うらかみきょうかい】
区分その他
長崎市本尾町にあるカトリック教会。浦上キリシタンは江戸時代末期から明治初期にかけ迫害を受け、村民のほとんど3千数百人が西日本を中心とする20藩に流罪となり、664人が殉教した。明治6(1873)年1883人が浦上へ戻り、明治12(1879年)に浦上川の船着場近くに小聖堂をつくった。1880年、信徒達は絵踏の記憶の残る高台の庄屋屋敷跡を買い取り、仮聖堂とした。1895年フレノー神父の設計により石とレンガ造りのロマネスク式大聖堂の建築が開始され、その仕事はラゲ神父に引き継がれ、信徒たちの努力により20年後の大正3(1914)年に完成。しかし昭和20(1945)年8月9日原爆により倒壊、2人の神父と浦上信徒のうち七割にあたる8500人が死亡。
1959年再建され、1962年現在長崎大司教区司教座聖堂となる。 1981年には歴史的なローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪問が実現した。
浦上崩れ
【うらかみくずれ】
区分その他
浦上村(現長崎市)で江戸時代末期から明治時代初期にかけて起きたキリスト教信徒への弾圧事件のことを指す。
浦上一番崩れ
【うらかみいちばんくずれ】
区分その他
浦上村(現長崎市)において1790年から起こった信徒の取調べ事件(4回に及ぶ迫害の第1回目を浦上一番崩れと呼ぶ。)
浦上二番崩れ
【うらかみにばんくずれ】
区分その他
浦上村(現長崎市)において1839年にキリシタンの存在が密告され、捕縛された事件(4回に及ぶ迫害の第2回目を浦上二番崩れと呼ぶ。)
浦上三番崩れ
【うらかみさんばんくずれ】
区分その他
浦上村(現長崎市)において1856年に密告によって信徒の主だった者たちが捕らえられ、拷問を受けた事件のことである。(4回に及ぶ迫害の第3回目を浦上三番崩れと呼ぶ。)帳方吉蔵は奈摩(上五島)に逃れたが、捕らえられ獄死。
浦上四番崩れ
【うらかみよんばんくずれ】
区分その他
浦上村(現長崎市)で江戸時代末期から明治時代初期にかけて起きた大規模なキリスト教信徒への4回に渡る弾圧事件のことを浦上崩れと呼ぶ。浦上四番崩れは信徒発見後の1867年、浦上村(現長崎市)の潜伏キリシタンが檀那寺の許可なく葬儀を行い、信仰を表明したことにより起こった大規模なキリスト教徒への四度目の弾圧事件。 棄教しない浦上村の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に捕縛されて拷問を受け、明治政府の手により日本全国に流罪とされた。
浦上村
【うらかみむら】
区分その他
現在の長崎市の中心市街北部の一地区。中世末からキリシタンの里で、江戸幕府の弾圧開始後も潜伏して信仰を守り続けたが、1790年以後4回の大きな弾圧を受けた(浦上崩れ)。四番崩れがもっとも厳しく、全村総流罪(3千数百人)になり、1873年に帰村。
江川城
【えがわじょう】
区分その他
1526年宇久盛定が築城。 子の純定のとき宣教師と会見したのはここであろう。1614年22代 五島盛利の時、江川城が炎上し、家宝・旧記ことごとく焼失する。
絵踏
【えぶみ又はえふみ】
区分その他
江戸幕府が禁教当時、キリスト教の信者を棄教させ、発見するために聖画などの絵や銅製のクルスやメダイ等を踏ませた行為を指す。1628年ごろから長崎で始まり、その後各地で行われ、1664年には宗門改役が置かれた。1858年、長崎奉行荒尾石見守は絵踏の廃止の布告を出した。
大内義隆
【おおうちよしたか】
区分人名
室町時代の武将で周防を中心に中国地方から北九州にかけて勢威をはった大内氏の31代といわれている。明・朝鮮の文物を用い、文化の発展に尽くした。老臣陶晴賢の反逆にあい自刃した。
大浦天主堂
【おおうらてんしゅどう】
区分その他
長崎市にあるカトリックの教会で、日本最古の現存するキリスト教会。また国宝に指定された唯一の洋風建築であり、日本二十六聖人に捧げられた教会堂は殉教地の西坂に向けられている。1865年信徒発見の舞台となった初代教会を、15年後に四方を拡張、改造などして包み込む形になっている。現在、県内の五市2町で世界遺産登録推進をしている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産候補である。
大泊子部屋
【おおとまりこべや】
区分その他
大泊(現五島市)の民家を活用し、間引きの対象となっていた子ども達を養育した施設。外国人宣教師の指導の元、篤信のカトリックの乙女達の献身的働きによりやがて養育院、奥浦慈恵院へと福祉事業に発展する出発点となった。
大友宗麟
【おおともそうりん】
区分人名
豊後領主。代表的なキリシタン大名の一人。(洗礼名フランシスコ)
大村郡崩れ
【おおむらこおりくずれ】
区分その他
1657年大村領の郡村で、密告によってキリシタンの存在が発覚し、大村藩の存亡に関わる事件が起きた。608人が検挙され、411人が斬首、20人が永牢処分となった事件。永牢の者の内には11歳で牢に入れられ、75歳で死亡と、64年間牢で過ごす文字通りの永牢となった者もいた。
大村純忠
【おおむらすみただ】
区分人名
肥前大村の領主で、1563年に洗礼を受けた日本最初のキリシタン大名(洗礼名バルトロメオ)。同じくキリシタン大名の有馬晴信は甥に当たる。
純忠は平戸港に代わる新しい港を探していたポルトガル人に、自領にある横瀬浦(長崎県西海市)の提供を申し出、ポルトガル船を入港させた。結果として横瀬浦はにぎわい、純忠は家臣とともにコスメ・デ・トーレス神父から横瀬浦で洗礼を受けた。同年反対派によって横瀬浦が焼き討ちされると1565年には福田港(現長崎市)を開き、更に1570年、当時寒村にすぎなかった長崎を開港しポルトガル人に提供した。また1580年にイエズス会に長崎を寄進した。これにより長崎はキリスト教布教の中心となる。晩年は竜造寺氏の圧迫や、病床に伏すなど困難があったが、深い信仰を保って他界した。バテレン追放令の出る前の死であった。
大村喜前
【おおむらよしあき】
区分人名
大村純忠の子。2歳で洗礼を受け、洗礼名はサンチョ。天正遣欧少年使節千々石ミゲルやヴァリニャーノの帰国を歓迎したり、大村に大きな教会を建てるなどしたが、一方法華経僧侶を招いて本経寺を建てさせてもいる。
1606年にはイエズス会員の追放を命じ棄教。暴風雨の日に近くの姉の見舞いに行き、その直後に毒死した。
奥浦慈恵院
【おくうらじけいいん】
区分その他
堂崎に木造教会を建設したマルマン神父が1880年、大泊に「子部屋」を開設。「子部屋」は女性らの献身的な活動により、養育院を経て現在は児童養護施設 奥浦慈恵院(五島市平蔵町)となっている。
押しから責め
【おしからぜめ】
区分その他
すねと股の間に三角の棒を挟んで座らせ、ひざの上や背中に石を積む責め苦で、キリスト教を棄教させるために行った。
お告げのマリア修道会
【おつげのまりあしゅうどうかい】
区分その他

カトリック女子修道会。
明治初期、赤痢や天然痘、台風被害などで辛酸をなめていた長崎の浦上村(現長崎市)で、宣教師による救護活動が開始され、この活動に女性達が次々に加わり献身し、修道生活に準じた共同生活が始まり、住まいは女部屋と呼ばれた。女性達はあねさんと呼ばれ、1876年浦上養育院を創立。1877年、貧しい人や幼児への奉仕を目的とした十字会を創立。また、各地の宣教師の手足となって奉仕。こうした流れの中で上五島に鯛の浦養育院(現希望の灯学園)、下五島における乳幼児の救済事業から発展した奥浦慈恵院などが設立され、会員が児童、乳幼児の養育に当たった。1948年9月には聖マリア病院を下五島(現五島市)に開設し運営。1956年には大浦を本部とする聖婢姉妹会として、十字会以来の準修道院を統合。その後老人ホームを設立。

1975年教皇庁の許可を得てお告げのマリア修道会となった。
保育施設の運営、教会奉仕など地域に根ざした活動が行われている。
オラショ
【おらしょ】
区分その他
ラテン語のoratio(祈りの意味)からくる。祈りが神との対話であることを重視して「祈祷」と使わず潜伏キリシタンも「オラショ」を用いて伝えてきた。
開港協定
【かいこうきょうてい】
区分その他
領主大村純忠の命により1570年イエズス会に長崎開港が約束され、1571年ポルトガル船が入港、長崎6町の地割が行なわれた。1580年長崎はイエズス会に寄進され、教会領となる。その後1587年豊臣秀吉の宣教師追放令により、長崎は天領となった。
外国人居留地
【がいこくじんきょりゅうち】
区分その他
外国人の居留及び交易区域として国内で特に定めた一定地域。近代日本では、日米修好通商条約など欧米5ヶ国との条約で、開港の地に外国人居留地の設置が決められ、条約改正により廃止されるまで存続した。単に居留地ともいう。
隠れキリシタン
【かくれきりしたん】
区分その他
江戸幕府によるキリシタン禁教の後、1873年(明治6年)、禁教が解かれ、潜伏する必要がなくなった後も、カトリックに戻る道を選ばず、江戸時代からの「秘かに教えを守る形態」をとりながら信仰を守っている人々を指している。
カクレキリシタン
【かくれきりしたん】
区分その他
隠れキリシタンに同じ
ガスパル西玄可
【がすぱるにしげんか】
区分人名
生月の信徒の指導者であった西玄可(洗礼名ガスパル)は家族と共に捕らえられ、生月のキリシタンが聖地として伝えてきた「黒瀬の辻」と呼ばれる場所で1609年に処刑された。その地に現在はカトリック信徒が建てた巨大な記念碑が立つ。平成20(2008)年11月24日、妻、長男と共に長崎市(長崎県営野球場 )で行われたペトロ岐部と187殉教者列福式で福者に列せられた。
ガスパル与作
【がすぱるよさく】
区分人名
大村藩から五島の若松村へ移住した潜伏キリシタンの子孫、善七の子として生まれる。
1865年、浦上信徒がプチジャン師と再会してまもなく、長崎に来ていた上五島・若松島のガスパル与作という青年が大浦天主堂を訪れて、彼の住む島にも1000人以上のキリシタンがいるとプチジャン師に告げ、神父が長崎に再来していることを五島各地に伝えた。その後、プチジャン師の元に無給で住み込み教理を学び、1866年、日本二十六聖人の祝日に他の2名の若者と共に、2世紀以上経て復活キリシタン初の聖体拝領者となった。これを機に1867年頃から上五島に帰り郷里の伝道士となり、五島の潜伏キリシタンの指導にあたり、潜伏キリシタンの教会復帰に多大の貢献をした。
ガスパール・コエリョ
【がすぱーる・こえりょ】
区分人名
ポルトガル生まれで1556年にインドのゴアでイエズス会に入会。同地で司祭に叙階され、1572年に来日。九州地方で布教活動し、日本地区がイエズス会の準管区に昇格すると初代準管区長に任命された。1586年には畿内の巡察を行い、大坂城で豊臣秀吉に謁見を許される。しかし彼の言動が結果的に秀吉に伴天連追放令を出させた。
ガスパル・ビレラ
【がすぱる・びれら】
区分人名
ポルトガル出身のイエズス会士。1556年来日し、府内(大分県)、平戸(ひらど)(長崎県)博多で布教ののち、1559年日本布教長トーレスの命で上洛、翌年将軍足利義輝から布教の許可を受けた。仏僧らの圧迫により堺に避難し、のち奈良で布教。高山厨書・右近父子らに感化を与え京都を中心に近畿方面布教の基礎を築いた。
1566年豊後に戻り、後年、長崎地方の伝道に尽力し、1570(元亀1)年衰弱のため離日、マラッカで死去。
カトリック
【かとりっく】
区分その他
カトリックの語源はギリシア語で普遍的、世界的、公性の意。一般にローマカトリック教会を指して用いられる。
カトリック教会
【かとりっくきょうかい】
区分その他
ローマ教皇を中心とし、全世界の10億人以上の信徒で構成する、イエスを救世主と信じる集合体のこと。現在、欧米を中心に世界各国に広がっているローマカトリック教会をさす。
教皇
【きょうこう】
区分その他
教皇とはキリスト教の高位聖職者の称号で、全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。キリストは弟子の中から12人を選び、ペトロをその頭として特別な使命を与えたが、このペトロの後継者がローマ教皇である。
教皇の地位は「教皇位」(Papacy)、あるいは「教皇座」と呼ばれ、また教皇の権威のことを「使徒座」ともいう。
教皇グレゴリウス13世
【きょうこうぐれごりうすじゅうさんせい】
区分人名
グレゴリウス13世は、ローマ教皇(在位、1572年 - 1585年)。学問を好み、奨励したことで知られ、ユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦とよばれる新暦を採用したことでも知られる。
教皇パウロ5世
【きょうこうぱうろごせい】
区分人名

ローマ教皇(在位、1605年-1621年)。シエナの生まれ。教会の権益を擁護すべくヴェネツィア共和国やイギリスのジェームズ1世との交渉を繰り返した。
1615年、支倉常長ら慶長遣欧使節が教皇パウロ5世との謁見を果たす。

1617年、厳しい禁教に苦しむ日本の信徒に対し、赦しの恵みを添え教皇が発した慰問書簡は、1620年8月日本に届き、各地の教会に回付されたが、それに対する日本の信徒からの返事が届く前に亡くなった。(1621年)
教皇ヨハネ・パウロ2世
【きょうこうよはね・ぱうろにせい】
区分人名
ポーランド出身のローマ教皇(在位 : 1978年 - 2005年)。ハドリアヌス6世以来455年ぶりの非イタリア人教皇にして史上最初のスラブ系教皇。20世紀中最年少で着座した教皇でもあり、神秘神学と哲学の二つの博士号を取得。
世界平和と戦争反対への呼びかけと、数々の平和行動の実践、反共産主義と東欧の民主化運動への精神的支援、諸宗教や文化間の対話の呼びかけとその実行、生命倫理などさまざまな分野で宗教の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与えた。1981年2月、日本への教皇の初来日を果たした。
居留地
【きょりゅうち】
区分その他
外国人居留地に同じ
キリシタン
【きりしたん】
区分その他
キリシタンは、日本の戦国時代から江戸時代を経て明治の初めごろまで使われたキリスト教及びキリスト教徒を示す歴史的用語。もともとポルトガル語のキリスト教徒のことであり、英訳すればクリスチャン。
本来はキリスト教信者全般を指すが、日本の歴史の中で使用されるときはカトリック信者を指す。
キリシタン禁教令
【きりしたんきんきょうれい】
区分その他
キリスト教を信仰することや布教をすることを禁止する政策。
キリシタン禁制の制札
【きりしたんきんせいのせいさつ】
区分その他
1868年、明治新政府は人民の守るべき5種類の高札(五榜の掲示)を出した。その第3札で、江戸幕府の制度を引き継ぎ、キリスト教を禁止した。
キリシタン大名
【きりしたんだいみょう】
区分その他
キリスト教に入信し、洗礼を受けた大名をさす。九州・畿内に多く、キリシタンを保護し、南蛮貿易を行う者もいた。
大村、有馬、大友など数多くの大名がいるが、典型的キリシタン大名は、高山右近である。入信からあらゆる圧迫のもと信仰に生き、マニラに追放され殉教的死を遂げた。彼に感化されキリシタンとなった大名、城主層は20名を下らない。
またその一族や領民への感化も非常に大きかった。
キリシタン入島禁止の高札
【きりしたんにゅうとうきんしのこうさつ】
区分その他
1628年、五島へのキリシタン入島が禁止され、特に水際での取締りが強化された。
切支丹屋敷
【きりしたんやしき】
区分その他
1646年、捕えた切支丹を収容するために江戸に作られた獄舎。1709年にシドッチ神父が収容されるまで、鎖国と厳しい禁教政策によって長い間収容者はいなかった。
キリシタン類族令
【きりしたんるいぞくれい】
区分その他
徳川幕府による新たなキリシタン禁令。類族はキリシタン棄教者とその親族を指し、寛永期以降、特別の監視下に置かれた。
1687年制度化され、キリシタン本人から男系5代、女系数代にわたり類族とし、移動、生死を詳細に宗門奉行へ報告、登録を義務付けた制度。1695年には新たな規定が施行され、移住の原則的禁止など更に厳しくなった。
キリスト
【きりすと】
区分人名
もともと油を塗られた者の意で、王の称号。イエスの敬称。のちイエスそのものをさす。
キリスト教
【きりすときょう】
区分その他
キリスト教は仏教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一つで、ナザレのイエスを救世主と信じる世界宗教。世界における信者数は10億人を超えている。
禁教令
【きんきょうれい】
区分その他
その宗教を信仰することや布教をすることを禁止すること。
禁制の制札
【きんせいのせいさつ】
区分その他
キリシタン禁制の制札に同じ
クザン司教
【くざんしきょう】
区分人名
パリ外国宣教会のフランス人神父として1866年長崎に来航し、国内での宣教活動を行った。五島には神父時代に2回来島し、信徒を導いた。1885年司教叙階。
教階制確立により1891年、初代長崎司教として大浦天主堂に着座し、司祭養成、信徒倍増に貢献した。1911年、長崎で死去。
クザン神父
【くざんしんぷ】
区分人名
クザン司教に同じ。
景教
【けいきょう】
区分その他
ネストリオス派キリスト教の中国における呼称。唐代初期、中国に伝わり、長安を中心に布教の結果栄えたが、9世紀、武宗の弾圧で衰退。その後モンゴル人の元朝の時代、再興をみたが、14世紀に衰滅。
元和の大殉教
【げんなのだいじゅんきょう】
区分その他
元和の大殉教(げんなのだいじゅんきょう)とは江戸時代初期の元和8(1622)年、長崎の西坂でカトリック信徒55名が火刑と斬首によって処刑された事件である。日本のキリシタン迫害の歴史で最も多くの信徒が同時に処刑された事件で、幕府による弾圧がこのあと更に強化された。これはイエズス会やフランシスコ会の宣教師などによって海外に詳細に伝えられ、日本の歴史の中で26聖人の殉教とならんでもっともよく知られた殉教事件といわれている。
ローマのジェズ教会には、目撃したと考えられる人が描いた元和の大殉教図がある。
公教要理
【こうきょうようり】
区分その他
問答式で書かれているカトリックの教義、あるいはその本。
公式移住
【こうしきいじゅう】
区分その他
1797年、五島盛運(モリユキ)候は五島の開墾の為に人手が必要との判断により、大村藩主に対し大村領の農民を五島に移住させて欲しいとの要請を行った。大村藩主の了解のもと、これに応えてこの年以降五島に移住してきた者の大半が潜伏キリシタン達であった。それまでの私的な移住に対し、公式移住の第一陣108名が六方の浜(現五島市)に上陸した。
ゴシック様式
【ごしっくようしき】
区分その他
フランスを発祥の地とする建築様式で12世紀から開花。ルネサンス以後、ゴシック建築は下火になっていたが18世紀~19世紀のゴシック・リヴァイヴァルの際には構造力学的観点から、再評価が始まり合理的な構造とされた。
コスメ・デ・トーレス神父
【こすめ・で・とーれすしんぷ】
区分人名
フランシスコ・ザビエルと共に戦国時代の日本に来たイエズス会宣教師。ザビエル帰国後日本に残り、その意志を継いで日本で宣教し、1570年志岐で死去。五島の地に初めてキリスト教を伝えたルイス・デ・アルメイダとロレンソ了斎をイエズス会に受け入れたのも彼である。また寺子屋のような教育施設を各所に設け、子ども達の教育も行った。
彼の”宣教師が現地の文化に根ざし、適応して生きる”やり方は、日本でのキリスト教布教の成功につながった。
五島崩れ
【ごとうくずれ】
区分その他
信徒発見後の明治元(1868)年、五島の久賀島のキリシタンたちも信仰を表明し200名余が捕えられ、出牢後の死者3名を加えると42名が殉教する事件となった。これが発端となって、五島全体に広がったカトリック信徒への弾圧をさす。
五島盛利
【ごとうもりとし】
区分人名
肥前福江藩の第2代藩主で五島家第22代当主。
小西マンショ
【こにしまんしょ】
区分人名
対馬の宗義智と小西マリアの間に生まれた子と同一人であるかどうかは不明。有馬のセミナリヨでキリスト教を学び、1614年、キリシタン追放令でマカオに追放された。後にポルトガルで学び、ローマに渡り1623年イエズス会に入会し、グレゴリアン大学で学んだ後、司祭叙階。1632年、日本に帰国し畿内で布教活動を行ったが、1644年大阪で捕縛され殉教した。
彼の死によって日本国内に正式に叙階された日本人司祭は存在しなくなり、以後明治時代までカトリックの日本人司祭は誕生しなかった。
小西行長
【こにしゆきなが】
区分人名
安土桃山時代のキリシタン大名として知られた。初め宇喜多氏に仕え、のち豊臣秀吉の臣。文禄・慶長の役の先鋒主将。関ヶ原の戦いで西軍の将として奮戦したが敗北し、キリシタンを理由に切腹を拒否し、斬首された。
子部屋
【こべや】
区分その他
間引きの対象となっていた子ども達を養育するための民家を活用した建物で始めた現在の福祉事業施設の前身。
五榜の掲示
【ごぼうのけいじ】
区分その他
五榜の立て札に同じ
五榜の立て札
【ごぼうのたてふだ】
区分その他
1868年、五箇条の御誓文発布の翌日、明治政府が民衆に向け、守るべきことを示した5枚の高札。五倫の道の勧め、徒党・強訴・逃散やキリシタンの禁止など、旧幕府の政策と変わりがない内容であった。
コルベ神父
【こるべしんぷ】
区分人名
(マキシミリアノ・マリア・コルベ・1894年1月8日 - 1941年8月14日) ポーランド人でコンベンツァル聖フランシスコ修道会司祭。
第二次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所で餓死刑に選ばれた男の身代わりとなって命を捧げ、カトリック教会の聖人にあげられた。日本との関わりも深く、1930年(昭和5年)にゼノ修道士らと長崎に到着し、一ヵ月後には日本語版の「聖母の騎士」誌の出版を開始。翌年には聖母の騎士修道院を設立した。記念日は8月14日。
祭壇
【さいだん】
区分その他
この場合はカトリックのミサが行われる卓のこと。キリストの最後の晩餐と十字架上の死を再現し、その復活を記念する祭儀がミサであり、祭壇は最後の晩餐と生贄の二つの食卓をあらわしている。
鎖国令
【さこくれい】
区分その他
江戸幕府がキリシタン禁制の徹底とポルトガル貿易の禁止を目的として、1633年から同1639年までの間に数回発したいわゆる鎖国令により、日本人の海外渡航、オランダ、清(中国)、朝鮮以外の外国との通交・貿易を禁止する旨の一連の法令。
算木責め
【さんきぜめ】
区分その他
三角に削った木を並べた上に正座させ、大石複数 を膝の上に重ねて乗せる拷問のひとつで、キリスト教を棄教させるために行った。
サンタ・マリア
【さんた・まりあ】
区分人名
イエスの母マリアの尊称。聖母マリア。サンタはポルトガル語で「聖なる」の意味でキリスト教で、聖人の列に加えられた人の名に冠する語。
サン・フェリペ号
【さん・ふぇりぺごう】
区分その他
1596年暴風雨のため土佐の浦戸に漂着したスペイン船の名前。豊臣秀吉はサンフェリペ号の乗員の所持金とすべての船荷を没収した。その際乗組員が、スペインは修道士の協力を得て征服すると誇示したことが秀吉を刺激し、二十六聖人の殉教につながったといわれている。なお、同船はその後修繕しマニラに帰着した。
司祭叙階
【しさいじょかい】
区分その他
カトリック教会で、司祭の聖職位を授けることをいう。
初代教会時代に、使徒がその後継者として選ばれた者に手を置いて、聖霊のたまものを祈り、教会に必要な奉仕者に加えたことに叙階の起源がある。
至聖なるイエズスの聖心
【しせいなるいえずすのみこころ】
区分人名
イエスのみ心に同じ
使徒聖ペトロ・パウロ
【しとせいぺとろ・ぱうろ】
区分人名
二人はイエスの弟子。ペトロはガリラヤの漁師だったが、イエスに選ばれ最初の弟子となる。イエスの死後、エルサレム教会の基礎を固め福音宣教に尽力、ローマでネロの迫害により殉教。十二弟子の筆頭で、カトリック教会では初代教皇とされる。パウロは初期キリスト教の伝道者。小アジアのタルソ生まれ。律法に厳格なファリサイ派のユダヤ教徒として、初めはキリスト教徒を迫害するが劇的な回心を体験。エーゲ海沿岸地方を中心に異邦人に福音を伝え、各地に教会を設立。その手紙は新約聖書に収められている。60年頃、ローマで殉教の死を遂げたと推測される。生没年不詳。それぞれ二人を記念する大聖堂が建てられ、ペトロは聖ペトロ大聖堂(バチカン市国)、パウロは聖パウロ大聖堂(ローマ城壁外)で共に世界文化遺産。
使徒聖ヨハネ
【しとせいよはね】
区分人名
イエスの十二弟子の一人。イエス昇天後、エルサレムのキリスト教会を指導した。新約聖書のヨハネ福音書・ヨハネ黙示録の著者とされている。
シドッチ神父
【しどっちしんぷ】
区分人名
(ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ)イタリアのシチリア島出身のカトリック司祭。江戸時代中期、日本での布教を志し、和服に大小二本差しという侍の姿に変装して屋久島に上陸したが捕らえられ、その死まで江戸で幽閉された。時の幕政の実力者、新井白石はシドッチ神父との対話をもとに『西洋紀聞』などを著した。
司牧
【しぼく】
区分その他
カトリック用語。カトリック教会で司祭が秘蹟を授けたり信徒を導くことをいう。
島田喜蔵
【しまだきぞう】
区分人名
初の五島列島出身司祭。
江戸時代後期に上五島北魚目村江袋(現新上五島町)の潜伏キリシタンの家に生まれた。11歳頃から司祭を志し、キリスト教弾圧の中で密かに大浦天主堂や香港、横浜で勉学を重ねた。迫害終結の1873年には東京神田の神学校に移って原敬をはじめ武士や公家の子弟らと学んだ。更に勉学を重ね1887年に司祭叙階し、大分、高田、臼杵、鹿児島に布教し、多くの人々に洗礼を授け、信仰に導いた。1919年からは五島で布教した。
島津家久
【しまづいえひさ】
区分人名
安土桃山・江戸前期の武将。薩摩藩主。文禄・慶長の役で軍功をたて、安南・呂宋・明と交易し、琉球を支配下においた。
島津氏
【しまづし】
区分人名
島津氏は、鎌倉時代から江戸時代まで続いた。江戸時代には外様大名・薩摩藩主として存続し、薩摩を根拠地とする大名家のほかに越前、信濃、駿河、若狭、近江に支流としての多数の分家がある。通し字に「忠」「久」を用いる。家風として尚武を尊び、代々優れた当主を輩出した。
島津貴久
【しまづたかひさ】
区分人名
戦国時代の大名で、薩摩・大隅二国を統一。また、日向(ひゆうが)平定事業を進めた。
1549年9月29日、フランシスコ・ザビエルを引見したが、期待したポルトガル船の来航がなかったためにキリスト教の布教に冷淡になり、翌年春ごろには禁圧するに至った。しかし1558年、積極的に外交をすすめ、翌年以来琉球と修好、61年ポルトガル船の来航。
アルメイダの来訪を歓迎、イエズス会インド管区長に宣教師の派遣を求め、翌年にもインド副王に友好を求める書簡を送った。
島原・天草の乱
【しまばら・あまくさのらん】
区分その他
島原の乱に同じ
島原の乱
【しまばらのらん】
区分その他
江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な農民による反乱であり、幕末の動乱に至るまでの最後の本格的な内戦であった。島原・天草一揆、島原・天草の乱とも呼ばれる。農民の酷使や過重な年貢負担に窮し、キリシタン迫害もあり、さらに飢饉の被害も加わり両藩に対して起きた乱である。
ジャンク船
【じゃんくせん】
区分その他
中国の沿岸、河川などで使用されている伝統的な木造帆船。
修好通商条約
【しゅうこうつうしょうじょうやく】
区分その他
日仏修好通商条約(にちふつしゅうこうつうしょうじょうやく)といい、1858年10月9日に日本、フランス間で結ばれた通商条約で、幕末から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた条約の一つ。
十字架の道行き
【じゅうじかのみちゆき】
区分その他
本来はキリストが十字架を担って歩んだ道のことをさす。アントニア城からカルワリオ(ゴルゴタ)の丘までをキリストの身の上に起こった出来事を回想しながら歩むカトリックの信心業をするために、14の十字架と絵や彫刻などが教会の壁に掲げられていて、第一留から第十四留までのキリストの受難の各場面を順番に黙想し祈るようになっている。14の場面の聖像や十字架などが屋外に設置されている場合もある。
修道院
【しゅうどういん】
区分その他
キリスト教で、修道士や修道女が一定の規則のもとに共同生活を営む場所。
修道士
【しゅうどうし】
区分その他
キリスト教で、清貧・貞潔・従順の三つの修道誓願を立て、基本的に修道院で共同生活をする男性のこと。
以前は男子修道会に属する修道者を総称する語として使われたが、今日では司祭叙階を受けない修道者を指す語として使われている。
宗門改
【しゅうもんあらため】
区分その他
江戸幕府により行なわれた宗教政策、民衆統制政策。当初、キリスト教禁教下のキリシタン摘発や改宗が目的だったが、寺請制度による宗門人別改帳が整備されてくると、住民調査的なものになっていった。
宗門改役
【しゅうもんあらためやく】
区分その他
江戸幕府により、キリスト教禁教下のキリシタン摘発のために設けられた職名。一般に宗門奉行、切支丹奉行などと称された。
キリシタンの摘発に加え、処刑なども役目であった。
宗門人別改帳
【しゅうもんにんべつあらためちょう】
区分その他
領民の宗旨を登録した帳簿。
宗門役
【しゅうもんやく】
区分その他
江戸幕府によりキリスト教禁教下のキリシタン摘発のために設けられた職名。
主任司祭
【しゅにんしさい】
区分その他
主任司祭は小教区(担当する教会)の責任者で、規模の大きい小教区には主任司祭を補佐する助任司祭も配置される場合がある。
殉教者の元后
【じゅんきょうしゃのげんこう】
区分人名
自らの信仰のために命を捧げる殉教者のそばで、神に祈りを捧げ、とりなしをしてくれる聖母マリアのことをさす。
巡察師
【じゅんさつし】
区分その他
教区や修道会管区の活動状況を点検する任務を持ち、同会総長の職務を代行する強い権限を備えた役職のこと。
聖徳太子
【しょうとくたいし】
区分人名
(574-622)推古天皇の摂政として冠位十二階・十七条憲法を制定。小野妹子(いもこ)を隋に派遣し国交を開く。
学問に通じ、仏教に深く帰依(きえ)し、法隆寺・四天王寺ほか多くの寺院を建立し仏教振興に尽くした。
諸聖人
【しょせいじん】
区分人名
諸聖人とは全ての聖人のことで、カトリック教会の典礼暦では11月1日が諸聖人を記念する日。
ジラール神父
【じらーるしんぷ】
区分人名
フランス人の宣教師。1859年来日、62年横浜に天主堂を建立。日本におけるカトリック教会の再布教に尽力し、横浜で死去。
信徒
【しんと】
区分その他
洗礼を受けたキリスト教信者のうち、叙階の秘蹟や修道誓願を立てていない人のこと。
ちなみに信者とは、洗礼を受けた全てのキリスト教徒のこと。
信徒発見
【しんとはっけん】
区分その他
1865年3月17日、浦上村(現長崎市)の住民数名が外国人居留地に建てられたばかりの大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に一人の女性が近づき、「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私の宗旨はあなたの宗旨と同じです)とささやき、自分達がキリシタンであることを告白した。禁教下の日本で、キリスト信者は絶えたと思われていたが、この「信徒発見」のニュースは密かに海外に伝えられ、世界中を駆け巡り、教皇は感激しこれを「東洋の奇蹟」と呼んだという。
秦の始皇帝
【しんのしこうてい】
区分人名
中国、秦の第一世皇帝(在位 (前221-前210))。紀元前221年戦国の六国を攻め滅ぼし、初の中国全土統一、自ら皇帝と称した。
郡県制を施行、中央集権化を図り、焚書坑儒による思想統制、度量衡・文字・貨幣の統一、万里の長城の築造などを行なった。
新約聖書
【しんやくせいしょ】
区分その他
旧約聖書と合体されてキリスト教の経典とされている。新約の内容は、福音書と使徒行伝、書簡などで構成され、キリストを中心とする過去、現在、未来の聖典となっている。
新暦
【しんれき】
区分その他
日本で明治6年(1873)以降採用されている、現行のグレゴリオ暦のこと。
純定
【すみさだ】
区分人名
宇久純定に同じ
純堯
【すみたか】
区分人名
宇久純尭に同じ
純玄
【すみはる】
区分人名
五島 純玄(ごとう すみはる)は、安土桃山時代の大名で宇久純定の嫡男の子。20代当主で、五島氏に改称した。
五島のキリシタンを迫害し、1592年から始まった文禄の役に参加したが、出陣中の1594年、天然痘にかかって死去。
聖アンナ
【せいあんな】
区分人名
聖母マリアの母。
聖家族
【せいかぞく】
区分その他
幼児イエスと、その両親であるマリア、ヨセフの家族。
聖職者
【せいしょくしゃ】
区分その他
自己の生活の大半を信仰する宗教の教義や信仰のために送る人のこと。この場合はカトリックの司祭、修道者を指す。各宗教により特別な地位や呼び名がつけられている。(キリスト教では司祭、仏教における僧正など。)
聖人
【せいじん】
区分その他
生前の殉教や徳行により、厳正な調査、手続きを経てカトリック教会により聖人の列に加えられた人物。聖人は全世界の信徒の崇敬の対象となる。
聖堂
【せいどう】
区分その他
この場合は、キリスト教の教会堂。
聖ドミニコ
【せいどみにこ】
区分人名
スペインで生まれ、24歳で司祭叙階。1206年にドミニコ会を創設し、1216年に教皇ホノリウス3世に認可された。
1221年に死去し、死後13年後に聖人に列せられた。
聖パトリック
【せいぱとりっく】
区分人名
4~5世紀ごろのブリタニア生まれの宣教師で、アイルランドのキリスト教化の基礎を築き”アイルランドの使徒”ともよばれ聖人に列せられている。
聖櫃
【せいひつ】
区分人名
教会の中に置かれ、ミサで聖別されたパンを病者、特に死の危機に臨んだ人に最後の糧として授けることができるように聖体のパンを保存しておく入れ物。通常、聖櫃は祭壇の背後か、脇のふさわしいところに置かれ、聖体が入れられている場合は、聖体ランプが灯されている。
聖フランシスコ・ザビエル
【せいふらんしすこ・ざびえる】
区分人名
フランシスコ・ザビエルに同じ
聖ペトロ・パウロ
【せいぺとろ・ぱうろ】
区分人名
使徒聖ペトロ・パウロに同じ
聖ヨセフ
【せいよせふ】
区分人名
聖ヨゼフに同じ
聖ヨゼフ
【せいよぜふ】
区分人名
ナザレの人でイエスの母マリアの夫。ダビデ王の家系と伝えられ、イエスの養父で仕事は大工であった。 聖書にはイエスが12歳のときエルサレムに家族3人で上って行き、帰路見失ったイエスを3日目に神殿で見出した出来事以降は聖ヨゼフについての記載がない。
聖ヨハネ五島
【せいよはねごとう】
区分人名
五島生まれで幼少の頃家族と共に長崎に移り、その後セミナリヨに入った。1595年頃、モレホン神父と共に大坂へ行き、同宿として活躍。
豊臣秀吉の命令により1596年パウロ三木と共に大阪で捕縛され、他の殉教者と一緒に長崎への道を歩み、翌年長崎の西坂の丘で処刑された。
西坂の丘への道中、浦上の聖ラザロ病院の聖堂でイエズス会士として誓願を立て、19歳で26人の日本人初の殉教者(日本二十六聖人)の一人となった。1862年列聖。
五島のヨハネ草庵、またはヨハネ五島、五島のジョアンともいわれ、 日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令により処刑が行われたのは日本ではこれが最初であった。ヨハネ五島の聖骨の一部は、堂崎教会内陣(五島市)におさめられている。
ゼノ修道士
【ぜのしゅうどうし】
区分人名
ゼノ・ゼブロフスキーは、ポーランド出身でコンベンツァル聖フランシスコ修道会(カトリック)の修道士。1930年(昭和5年)コルベ神父と共に長崎に到着した。長崎市への原子爆弾投下で自らも被爆したが、戦後、戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に力を入れた。
セバスチャン木村
【せばすちゃんきむら】
区分人名
イエズス会員。最初の日本人司祭のひとりで日本205福者の1人。フランシスコ・ザビエルが1550年に平戸で洗礼を授けた宿主木村氏の孫。禁教令後も九州各地で司祭として働いたが1621年密告により、長崎の西坂で火あぶりにより殉教。
セミナリヨ
【せみなりよ】
区分その他
ラテン語で「苗床」という意味。イエズス会巡察師ヴァリニャーノが1580年有馬に、翌年安土に設立、日本人司祭や伝道士の養成を目的とした学校。7~17歳のキリシタンの少年たちを対象とした全寮制で、ラテン語、日本文学、音楽が特に重視された。禁教令のために安全な場所を求めて各地へ移り、1614年長崎を最後に閉鎖された。今の小神学校にあたる。
宣教
【せんきょう】
区分その他
ある宗教の教えを伝えるために、自分の所属の共同体を離れて活動すること。
ここでは、キリスト教を知らない人にキリスト教を伝えるために活動すること。
宣教師
【せんきょうし】
区分その他
もともとキリスト教用語で本来の意味は「遣わされた者」。キリスト教を伝えるために、国内外に派遣される聖職者を指す。
広義にはその補助者や信徒を含める場合もある。
潜伏キリシタン
【せんぷくきりしたん】
区分その他
1614年、江戸幕府は全国にキリスト教禁令の布告を出し、この頃から、キリシタンたちの潜伏生活が始まった。しかし当初キリシタンの取締りには地域差があり、取り締まりが厳しくなったのは、後に幕府に宗門改役が設けられ、禁教政策が強化された以降といわれる。1644年、当時最後の日本人司祭小西マンショ神父が殉教した後、司祭不在の中で、檀家制度の中に組み込まれたキリシタンたちが、幕末までの間、表向きは仏教徒などを装い、密かに「オラショ=祈り」を唱え、メダイやロザリオ、聖像聖画、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵し、生まれた子に洗礼を授けるなどしながら信仰を代々守り伝えていった。これらの人々を「潜伏キリシタン」と呼んでいる。
1865年、長崎の大浦天主堂における信徒発見以降、九州各地に潜んでいた「潜伏キリシタン」達が、カトリック教会のもとにかえってきた。しかし潜伏する必要がなくなった後も江戸時代からの「秘かに教えを守る形態」をとりながら信仰を守っている人々を「隠れ(カクレ)キリシタン」と呼び、「潜伏キリシタン」とは区別している。
第一次流配
【だいいちじるはい】
区分その他
浦上村(現長崎市)の信徒の中心人物114名が、1868年に萩、津和野、福山に流罪となった。
第二次流配
【だいにじるはい】
区分その他
浦上村(現長崎市)の信徒が明治2(1870)年に鹿児島から富山にかけての22箇所に流罪となった。
一村3千数百人に及んだ。
大天使聖ミカエル
【だいてんしせいみかえる】
区分人名
四大天使の一人であると考えられている。カトリック教会などでは、ミカエルは大天使ミカエルあるいは聖ミカエルの称号で呼ばれる。
大天使ミカエル
【だいてんしみかえる】
区分人名
大天使聖ミカエルに同じ
大日本帝国憲法
【だいにっぽんていこくけんぽう】
区分その他
1889年(明治22)2月11日、明治天皇によって制定・公布された憲法。90年11月29日施行。天皇主権・統帥権の独立などを特色とする。1947年(昭和22)5月2日まで存続。帝国憲法。明治憲法。
鯛ノ浦6人斬り事件
【たいのうらろくにんぎりじけん】
区分その他
1870年(明治3年)1月、上五島の鯛の浦(現新上五島町)で、キリシタンの家族親族6人(胎児を含む)が殺害された事件。
高山右近
【たかやまうこん】
区分人名
安土桃山時代のキリシタン大名。洗礼名はジュスト。摂津の人で高槻城主・明石城主。
1587年に豊臣秀吉が伴天連追放令を出したとき、身分や財産を捨て信仰を選び1614年江戸幕府の禁教令で国外追放され、マニラで死去。
帳方
【ちょうかた】
区分その他
潜伏時代のキリシタンや隠れキリシタンの役職名で、教会暦(日繰り)を繰る人。
直轄地
【ちょっかつち】
区分その他
大名に支配させず、幕府が直接管轄(支配)している領地のこと。
直轄領
【ちょっかつりょう】
区分その他
直轄地に同じ。
ディエゴ
【でぃえご】
区分人名
日本人のキリシタンで学問、仏教に詳しく、キリスト教の大意にも通じ、トーレス神父により五島に派遣され当時の領主の病をいやし、キリスト教について説明した。
出島
【でじま】
区分その他
江戸幕府の命により1634年長崎港内に築かれた4000坪ほどの扇形の小島の名(現長崎市)。キリスト教の禁教政策としてポルトガル人を隔離するために出島に送り、1639年にポルトガル人を追放し平戸のオランダ商館を移転させ、鎖国時代外国との唯一の窓口であった。明治初年に埋め立てられ、現在は市街地の一部となっている。
鉄川与助
【てつかわよすけ】
区分人名
【1879(明治12)年1月13日 - 1976(昭和51)年7月5日】長崎県南松浦郡新魚目町(現新上五島町)出身の棟梁で、長崎県を中心に多くの教会堂を建築した建築家。
外国人宣教師のもと西洋建築を学び、日本の教会建築に多大な貢献をしたが、彼自身は生涯仏教徒であった。1959年に黄綬褒章、1967年には勲五等瑞宝章を授与されている。
寺請制度
【てらうけせいど】
区分その他
キリシタン信徒ではなく寺の檀徒であることを、その檀那寺(だんなでら)に証明させた制度。
寺沢広高
【てらさわひろたか】
区分人名
戦国時代の武将で長崎の奉行。1592年に洗礼を受けるが、1597年朝鮮へ出兵していた広高は、西坂での二十六聖人の処刑を、弟半次郎に命じた。
天正遣欧少年使節団
【てんしょうけんおうしょうねんしせつだん】
区分その他
1582年、巡察使ヴァリニャーノのすすめで、有馬で学ぶ4人の少年が九州のキリシタン大名の名代としてローマ教皇のもとに派遣された。教皇への謁見を果たし、1590年帰国。正使:伊東マンショ・千々石ミゲル、 副使:中浦ジュリアン・原マルチノ。
天正遣欧使節
【てんしょうけんおうしせつ】
区分その他
天正遣欧少年使節団に同じ。
天正少年使節
【てんしょうしょうねんしせつ】
区分その他
天正遣欧少年使節団に同じ。
伝道
【でんどう】
区分その他
宗教的真理や教義を伝え広めることをいう。特にキリスト教で、キリストの福音を宣べ伝え、洗礼を施し、人々を救いに与らせる教会の働き。キリストの聖書の言葉に基づくもの。(マタイ28:19-20)
伝道士
【でんどうし】
区分その他
この場合は、キリスト教の宗教的真理や教義を伝え広める伝道に従事する信徒のこと。
伝道士クエモン
【でんどうしくえもん】
区分人名
日向で生まれ、14歳のとき豊後で洗礼を受けた。およそ30年間伝道士をし、他のキリシタンたちの教師で、五島の若松に住んでいた。1624年斬首された。享年57歳。
天領
【てんりょう】
区分その他
①天皇・朝廷直轄の領地。
②江戸幕府直轄の領地で、重要地には奉行・郡代・代官などが置かれた。
トードス・オス・サントス教会
【とーどす・おす・さんとすきょうかい】
区分その他
県指定史跡。ガスパル・ビレラによって1569年に設けられた長崎で最初の教会堂。1574年焼き討ちにあい、すぐに新しい教会堂が建てられた。一時、セミナリヨ(小神学校)とコレジヨ(大神学校)もおかれた。禁教令後、春徳寺が建ち、教会時代の井戸が今も残る。
トーレス神父
【とーれすしんぷ】
区分人名
コスメ・デ・トーレス神父に同じ。
取次役
【とりつぎやく】
区分その他
潜伏時代のキリシタンの役職名のひとつ。
内陣
【ないじん】
区分人名
ここでは、主祭壇を安置するための最も神聖な聖職者専用の空間をさす。
中浦ジュリアン
【なかうらじゅりあん】
区分人名
天正遣欧使節の副使でジュリアンは洗礼名。後にイエズス会のカトリック司祭。ローマで使節たちは教皇・グレゴリウス13世と謁見したが、中浦ジュリアンだけは高熱の為に公式の謁見式に臨めなかった。教皇への目通りを切望し、教皇と非公式の面会が実現。帰国後イエズス会に入会し、後にマカオのコレジヨで勉学に励み、1608年聖母の被昇天教会でセルケイラ司教により司祭叙階。1614年の宣教師の国外追放時は国内に残留し、禁教下二十年余にわたり地下活動を続けていた。1633年ついに小倉で捕えられ、長崎へ送られ、穴吊りの刑で殉教。平成20(2008)年11月24日に長崎で他の187人と共にペトロ岐部と187殉教者として列福された。
長崎公教神学校
【ながさきこうきょうしんがっこう】
区分その他
長崎市にあったカトリックの神学校。現在の名称は長崎カトリック神学院(小神学校)。明治8(1875)年に、プチジャン神父によって設立され、当時は講義がすべてラテン語で行われたため、「羅典神学校」と呼ばれた。国宝大浦天主堂に隣接して建てられた初代校舎は、昭和47(1972)年5月15日、旧羅典神学校として国の重要文化財に指定された。また、ユネスコの世界文化遺産暫定リスト入りした「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産候補の1つ。
中村長八神父
【なかむらちょうはちしんぷ】
区分人名

五島列島奥浦村(現五島市)出身。司祭となり、国内で司牧していたが日本人最初の海外派遣宣教師として、大正12(1923)年に57歳でブラジルに渡り、1940年にサンパウロ州北西部のアルヴァレス・マシャード市で死去するまで17年間、広大なブラジルの地での東奔西走の福音宣教活動を行い、「日本移民の心の父」として慕われた。千数百名に洗礼を授け、ブラジル人の信望をも集め、州内信徒は数千名に達した。

中村神父の出身地の近くにある堂崎天主堂キリシタン資料館に展示されている生前本人が使用していた祭服は、古びて日に焼け、清貧の生活と現地での苦労の一端を垣間見ることができる。現在列福調査がすすめられている。
南蛮貿易
【なんばんぼうえき】
区分その他
16~17世紀にかけて行われた日本と南蛮船(主にポルトガル)との貿易。
ニアバラ・ルイス
【にあばら・るいす】
区分その他
イエズス会員。平戸出身で最初の日本人司祭のひとり。肥後、薩摩を中心に信徒の世話をし、毎年各地を巡回した。
1614年に国外追放となり、1618年に日本に戻ることになったが、途中船が台風のため遭難して死亡した。
西坂の丘
【にしざかのおか】
区分その他
日本の国家権力におけるキリスト教弾圧のため、最初の殉教(日本二十六聖人)の舞台となった場所で、小高い丘になっている(現長崎市)。
西トマス神父
【にしとますしんぷ】
区分人名
トマス西六左衛門(1590年-1634年)はキリシタン時代のドミニコ会司祭。福者ペトロ岐部と187殉教者の西玄可の息子。
彼自身も殉教し、他の二人と共に日本人司祭として初めて列聖された日本十六聖人の一人。
マニラで学び司祭となり、日本潜入をうかがい、台湾、琉球を経て長崎に潜入。禁教下その足跡は関西にまで及ぶ。
長崎で捕縛され、西坂の丘で逆吊るしの刑で殉教した。
福者ペトロ岐部と187殉教者(2008年11月24日に長崎で列福式)には、母、兄のジョアンも含まれている。
二十六聖人
【にじゅうろくせいじん】
区分人名
日本二十六聖人殉教者に同じ。
26聖人の殉教
【にじゅうろくせいじんのじゅんきょう】
区分その他
日本二十六聖人の殉教に同じ
二十六聖人の殉教事件
【にじゅうろくせいじんのじゅんきょうじけん】
区分その他
日本二十六聖人の殉教に同じ
日本二十六聖人
【にほんにじゅうろくせいじん】
区分その他
1596年のサンフェリペ号事件を契機として、京都・大坂周辺で捕らえられ長崎の西坂の丘で磔刑に処せられ殉教した宣教師とキリシタン26名のことで、後に聖人に列せられた。
日本二十六聖人殉教者
【にほんにじゅうろくせいじんじゅんきょうしゃ】
区分人名
グレゴリオ暦で1597年2月5日、豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人の(司祭、修道士9名を含む)カトリック信者をさす。キリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令により処刑が行われたのは日本ではこれが最初であった。
1862年に列聖。1865年、長崎の大浦天主堂が建てられ、日本二十六聖人に捧げられた。
二十六人のうち、日本人二十名、スペイン人四名、メキシコ人、ポルトガル人が各一名であり、すべて男性であった。
日本二十六聖人の殉教
【にほんにじゅうろくせいじんのじゅんきょう】
区分その他
1596年のサンフェリペ号事件を契機として、京都・大坂周辺で捕らえられた宣教師とキリシタン26名が、翌年、長崎の西坂の丘で磔刑に処せられ殉教した。日本における最初の殉教事件。
ネストリオス派キリスト教
【ねすとりおすはきりすときょう】
区分その他
ネストリオス派とは、古代キリスト教の教派のひとつ。コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれ、431年、エフェソ公会議において異端として排斥された。中国においては景教とも呼ばれる。
パードレ
【ぱーどれ】
区分その他
司祭のこと。司祭(しさい)とは、キリスト教における位階の一つ。カトリック教会では一般には神父という敬称で呼ばれ、洗礼、ミサをはじめとする諸秘跡を執り行うが、男性に限られ、終生独身であることが求められる。
バスチャン
【ばすちゃん】
区分人名
伝承では、バスチャンは深堀の裏手にある平山郷の布巻に生まれた。ジワンの弟子となって牧野の山奥に隠れて福田、手熊を経て外海一帯にキリスト教を布教した。後に密告者により捕縛され拷問の末斬首されたが、死ぬ前に残したという予言と、繰り方を教えた暦は浦上や外海などの潜伏キリシタンの心の支えであったようだ。
バスチャン暦
【ばすちゃんれき】
区分その他
伝承では禁教下、牧野の山奥に隠れて福田、手熊を経て外海 一帯にキリスト教を布教したバスチャンが、ジワンよりキリシタンの守るべき祝日の暦の繰り方をならい 無形の遺産として残した暦。
秦河勝
【はたのかわかつ】
区分人名
6世紀末から7世紀前半にかけ活躍した厩戸皇子(聖徳太子)の側近。
バテレン追放令
【ばてれんついほうれい】
区分その他
伴天連(バテレン)とはカトリックの司祭(神父)を意味するパードレを漢字にあてたもの。1587年、九州を平定した豊臣秀吉が、博多で出した宣教師の国外退去などを定めたキリシタン禁教令。
バプチスタ・モンテ神父
【ばぷちすた・もんてしんぷ】
区分その他
フェラーラ出身のイタリア人司祭。イタリア語読みではモンテ。1554年、イエズス会に入る。
1561年、インドに向けて出発し、1562年4月、ゴアから極東に向かい、1563年7月6日、横瀬浦に着く。
1566年の年末、布教が開始された五島に渡り、教会を建設し、宇久純尭に洗礼を授け、五島布教の基礎を築いた。
彼は日本において多くの司祭の上長の役を果しながら布教に従事し、性格温和で多くの青年らを信仰に導いた。1581年には豊後で2500名に洗礼を授けるなど多くの実りをもたらした。1587年9月、平戸で死去。
早坂久之助神父
【はやさかきゅうのすけしんぷ】
区分人名
宮城県仙台市出身の明治-昭和時代の神父。ローマのウルバノ大に留学し明治44年司祭叙階後帰国。昭和2(1927)年バチカンで日本人初の司教叙階。翌昭和3(1928)年長崎司教区教区長となり、長崎純心聖母会、10年純心女学院を創設。昭和34(1959)年死去。
原主水
【はらもんど】
区分人名
原 主水(はら もんど)の名で知られているが原 胤信(はら たねのぶ)という。徳川家康の家臣でキリシタン。洗礼名はジョアン。1612年にまずキリスト教を信じる旗本・直参に対し棄教が命じられるが、これを拒み岩槻藩の親族の元に出奔し現地で秘かに布教。2年後に捕らえられたが棄教せず、激怒した家康の命により額に十字の烙印を押され、手足の指を全て切断され、翌1615年に追放された。その後も布教活動を続け後に江戸・浅草のハンセン病患者の家を拠点とするも、密告により捕らえられ、1624年に宣教師ら47名とともに江戸市中引回しの上、高輪の札の辻(高札場)で火あぶりにされ殉教した。
静岡の駿府城本丸跡に徳川家康像、三の丸跡のカトリック静岡教会内に原主水像がある。
パリ外国宣教会
【ぱりがいこくせんきょうかい】
区分その他
パリミッション会とも呼ばれ、外国への宣教のため1653年に設立されたカトリック宣教会。フランスのパリに本部を置く。
当初より東アジアの宣教を担当し、長崎の大浦に天主堂を建て、ここで潜伏キリシタンを発見したプチジャン、初代東京大司教オズーフをはじめ多くの宣教師が、カトリックの布教、司牧の面で、明治以降の日本のカトリック教会の再建に貢献した。
玄雅
【はるまさ】
区分人名
1752年生まれ。宇久純定の3男で、洗礼名は兄純尭(すみたか)と同じルイス。はじめ大浜の家を継ぎ20代純玄がキリシタンを迫害したとき、玄雅は他の信徒達と五島から長崎(現在の長崎市五島町)に逃れたと考えられている。甥(おい)の五島純玄(すみはる)が朝鮮出兵中病死し、1594年肥前福江藩(長崎県)五島家2代藩主となった。キリスト教布教を許可。
関ケ原の戦いで東軍についた後棄教したが、家臣の入信を禁じるだけで庶民が信仰することは問題にしなかった。1612年死亡。
ハンセン病
【はんせんびょう】
区分その他
以前は「癩(らい)病」「ハンセン氏病」とも呼ばれていた。「ハンセン病」はらい菌によって引き起こされる感染症で、伝染力は非常に低い。また感染して発症しても現在の医学では治癒が可能である。ハンセン病は見た目により歴史的に差別・偏見の対象となった病気であった。
久賀島牢屋の窄殉教事件
【ひさかじまろうやのさこじゅんきょうじけん】
区分その他
久賀島牢屋の窄の迫害に同じ。
久賀島牢屋の窄の迫害
【ひさかじまろうやのさこのはくがい】
区分その他
自らキリスト教(カトリック)の信仰を表明したために久賀島内の信徒達が捕えられ、過酷な責め苦を受けた。後に五島崩れと呼ばれ全五島における弾圧のきっかけともなった出来事で、12畳ほどの狭い牢に200名余が押し込められ、横になることも出来ず、排泄もその場にせねばならぬ惨状であった。更に幼老男女を問わず牢から引き出され棄教を迫られ、厳しい拷問を受けた。信徒達は信仰を守るために8ヶ月にわたり過酷な状況を耐えしのび、うち39名が死亡し、出牢後の死者3名を加えると42名の信徒が信仰のために命を落とした。
被昇天の聖母
【ひしょうてんのせいぼ】
区分人名
聖母マリアが死後、霊魂も肉体もともに天国に上げられたことを信じるのはカトリック教会の教義であり、その聖母マリアをたたえて被昇天の聖母と呼ぶ。
火責め
【ひぜめ】
区分その他
拷問の一つで、五島では棄教させるために焼けた木炭を掌にのせたり、口にくわえさせる責め苦を火責めと呼んだ。
日野江城
【ひのえじょう】
区分その他
領主有馬氏の居城。近年の日野江城跡発掘調査では、階段遺構や豊臣秀吉との関係を伺わせる金箔瓦の出土があった。金箔瓦の出土は、地方の拠点となった城であることも示している。昭和57 (1982)年7月3日、国指定史跡となる。現在、日野江城跡は県内の5市2町で世界遺産登録推進をしている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産候補である。
百姓一揆
【ひゃくしょういっき】
区分その他
江戸時代、農民が領主・代官などの悪政や過重な年貢の取立てに対し集団で立ち上がり対抗したこと。暴動、強訴、打ちこわしなどさまざまな形をとった。
ファチマの聖母
【ふぁちまのせいぼ】
区分人名
1917年5月13日から10月13日までの間にポルトガルのファチマで聖母が、6回にわたって3人の子供たち、ルチア、ヤシンタとその弟フランシスコに現れ、聖母は子供たちに、罪の償いやロザリオの信心等を信者たちに知らせるように求め、同時にそれをしない場合には罰を受けるだろうと告げた。このファチマに出現した聖母のことをファチマの聖母とよぶ。
フォルカード神父
【ふぉるかーどしんぷ】
区分人名
フランスの宣教師。パリ外国宣教会から派遣され、日本での宣教の足掛かりとして1844年、琉球の那覇に来航する。
表向きは将来の通訳のためとして、日本語学習の名目で上陸するも、港近くの聖現寺に監禁状態となる。琉球語を学んだ。1846年長崎まで行くが鎖国により上陸できず香港経由で帰国。
布教
【ふきょう】
区分その他
この場合は各地を回って、キリスト教を一般に広めることをいう。
プティジャン司教
【ぷてぃじゃんしきょう】
区分人名
プティジャン神父に同じ。
プティジャン神父
【ぷてぃじゃんしんぷ】
区分人名
1854年に司祭叙階し、禁教下、那覇に上陸し、横浜を経て1863年、パリ外国宣教会の神父として長崎に赴任。外国人居留地を購入し建設を始めたフューレ神父から大浦天主堂の建設を引き継いで完成させた。ほどなく「信徒発見」という歴史的出来事に遭遇し、潜伏キリシタンの指導と復帰に協力した。1866年教皇代理に任命され、同年10月香港でミリオフィテ名義司教として叙階。1867年には浦上四番崩れが起こり、翌年にはバチカンで事件の報告と援助を時の教皇に求め、長崎に戻り信徒の釈放のため没頭するなど、日本の教会のために尽力した。1880年に長崎で死去し、その遺体は大浦天主堂に埋葬された。
踏絵
【ふみえ】
区分その他
江戸幕府が禁教当時、キリスト教の信者を棄教させ、発見するために踏ませた聖画などの絵や銅製のクルスやメダイ等を踏絵という。踏む行為は厳密には絵踏という。絵踏は1628年ごろから長崎で始まり、その後各地で行われ、1664年には宗門改役が置かれた。1858年、長崎奉行荒尾石見守は絵踏の廃止の布告を出した。
踏み絵
【ふみえ】
区分その他
踏絵に同じ
フューレ神父
【ふゅーれしんぷ】
区分人名
フランス人の宣教師。1863年、パリ外国宣教会の派遣により開国後の長崎に初上陸。プチジャン神父とともに大浦天主堂の建立に携わり完成前に一時帰国し、信徒発見後に戻り、浦上のキリシタンの指導などを行い、明治2(1869)年帰国。
フランシスコ会
【ふらんしすこかい】
区分その他
イタリア・アッシジのフランシスコが始めた修道会で、男子、女子修道会及び在俗会がある。
フランシスコ・ザビエル
【ふらんしすこ・ざびえる】
区分人名
日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン生まれのカトリックの司祭。宣教師でイエズス会創立の中心メンバーの1人。
フランシスコ・ザビエル神父は、インドのゴア教区を中心としたアジア宣教をイエズス会に委ねた教皇パウロ3世の代理大使として1542年5月ゴアに派遣され宣教を行った。その後、1547年マラッカでの鹿児島出身の日本人ヤジロウとの出会いが契機となり、1549年にトーレス神父らを率い、鹿児島に上陸し日本に初めてキリスト教を伝えた。インドと同様、教皇の代理大使としての渡来であった。
彼は、上洛して天皇ならびに将軍に謁して布教の公認を得た後、全国的に布教したいと念願し、平戸、山口を経て1551年上洛。
しかし朝廷も幕府も力を失い荒廃している京都を見て、山口に戻って大内義隆に謁し城下に布教。その後大友宗麟の招きで豊後、府内などで布教した。また、日本の布教のためにも、中国布教の重要性を感じた彼は、インドに渡り、準備を終え、上川島に上陸したが、熱病にかかりこの地で死去。(1552年12月3日)
キリストの証人として初代教会以来最大の宣教活動を展開した人物でインドの使徒、東洋の使徒と仰がれている。
1622年、イエズス会創立の中心メンバーであるロヨラと共に聖人に挙げられ、記念日は12月3日。
ブレル神父
【ぶれるしんぷ】
区分人名
フランス生まれのパリ外国宣教会司祭で1876年来日。上五島で潜伏キリシタンへの宣教、司牧活動に従事。船で巡回宣教し、鯛の浦に希望の灯学園や児童福祉施設を創立。1885年、長崎から五島に戻る途中嵐により船が沈没し死亡した。
フレノー師
【ふれのーし】
区分人名
フレノー神父に同じ
フレノー神父
【ふれのーしんぷ】
区分人名
(テオドロ・フレノー)パリ外国宣教会の神父として1873年長崎に赴任。浦上崩れ後の混乱の中にある信徒達を世話し、その後1877年からは五島で布教した。1881年から、長崎公教神学校の校長をつとめ、その後大分と豊後の巡回宣教などを行った。1885年から再び五島で4年間活動し、1888年から浦上教会主任となり、典礼の充実、聖歌隊指導などに力を入れた。1895年、浦上天主堂の設計と建築監督に当たったが建設途上、完成を見ずして死去。
プロテスタント
【ぷろてすたんと】
区分その他
宗教改革運動をはじめとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に福音主義を理念としたキリスト教諸派の総称。日本ではカトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)といういいかたもされた。
豊後府内
【ぶんごふない】
区分その他
現大分市。
ペトロ岐部と187殉教者
【ぺとろきべとひゃくはちじゅうななじゅんきょうしゃ】
区分人名
平成20(2008)年11月24日、長崎市(長崎県営野球場 )で行われた列福式で福者に列せられたキリスト信者の総称で、1600年代に徳川幕府の禁教令により殉教した人々。5人の司祭・修道者以外の183人は、武士・町人・家庭の主婦・伝道士など老若男女の一般の信徒たちで、一家全員殉教した家族、身分や障害のため社会の底辺での苦しみを味わった人びとなどさまざまで、信仰を守るために命を捧げた188人。
ベネメレンティ有功賞
【べねめれんてぃゆうこうしょう】
区分その他
中村長八神父のブラジルでの17年間に及ぶ東奔西走の宣教・司牧の働きに対し、教皇が与えた功労賞。
ペリー艦隊来航
【ぺりーかんたいらいこう】
区分その他
ペリーの来航に同じ
ペリーの来航
【ぺりーのらいこう】
区分その他
米国海軍の軍人。1853年軍艦4隻を率い、東インド艦隊司令長官として浦賀に来航した。鎖国していた日本に開国を迫り、翌年再来航し日米和親条約を締結。
ペリー来航
【ぺりーらいこう】
区分その他
ペリーの来航に同じ
ペルー師
【ぺるーし】
区分人名
ペルー神父に同じ
ペリュー神父
【ぺりゅーしんぷ】
区分人名
(アルベルト・ペリュー)パリ外国宣教会のフランス人神父。1872年24歳で来日。神戸、長崎、平戸、下五島の信徒らを指導した。
1882年に2代目堂崎教会主任司祭となる。1907年に母の遺産をもとに現在の堂崎教会を建立し、翌年献堂した。リブ・ヴォールト天井のかけ方を日本人大工らに指導したのもペリュー神父である。また1899年には井持浦(現五島市)に日本初のルルドを創設。
ポウロ(パウロ)金左衛門
【ぽうろ(ぱうろ)きんざえもん】
区分人名
金左衛門は禁教下の五島に伝道に来て、斬首された。
マードレ・デ・デウス号事件
【まーどれ・で・でうすごうじけん】
区分その他
長崎港外福田沖でポルトガル船マードレ・デ・デウス号が有馬晴信軍の攻撃を受けた後、爆沈した事件。
松倉重政
【まつくらしげまさ】
区分人名
戦国時代末期~江戸時代初期の大名。大和五条藩主、肥前島原藩初代藩主。日野江に入封して禁教下、当初はキリシタンに寛容な領主だったが後に雲仙の地獄責めなど厳しいキリシタン迫害を行い、重税と強権政治、搾取を行い、子の松倉勝家と共に島原の乱の主因を作った。
マシャド神父
【ましゃどしんぷ】
区分人名
(マシャド・デ・ターヴォラ)日本205福者の一人でポルトガル人のイエズス会士。1609年に来日し、有馬セミナリヨで日本語を学び、伏見に派遣された。
1614年の宣教師追放の際は潜伏し、九州各地の信徒を巡回した。1617年4月五島の鹿ノ子島で捕らえられ、大村で斬首され殉教。遺体は海に捨てられた。
松平伊豆守信綱
【まつだいらいずのかみのぶつな】
区分人名
江戸時代前期の大名で、1638年には幕府軍の総大将として肥前島原藩で起こった島原の乱鎮圧に務めた。
間引き
【まびき】
区分その他
もともと農作物をまびくことをいうが、転じて口べらしのため嬰児(えいじ)を殺すことをさす。
マルマン師
【まるまんし】
区分人名
マルマン神父に同じ
マルマン神父
【まるまんしんぷ】
区分人名
(ジョセフ・フェルディナンド・マルマン)パリ外国宣教会のフランス人神父。1875年パリ外国宣教会に入会し、翌年日本に派遣された。復活後の五島の教会を指導し、教会建築も実現させた。1877年よりフレノー神父と共に下五島の宣教に努め、1880年奥浦村大泊(現五島市)に定住。下五島全域の信徒のために働き奥浦慈恵院の前身である子部屋を設立した。間引きの対象となっていた子ども達を世話する篤信の乙女たちによる奉仕の共同体は、後にお告げのマリア修道会として発展していくことになる。
翌年堂崎に木造教会を建て主任座教会とし、ここから下五島全域の司牧に励み、子部屋も堂崎に移った。
1888年伊王島に転任、師は建築にも造詣が深く1890年には馬込に白亜の天主堂を設計建立した。奄美を経て1897年より佐世保の黒島教会に転任。1902年に黒島天主堂を建設(現在、県内の5市2町で世界遺産登録推進をしている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産候補)した。1912年63歳の生涯を同地で終えた。
ミカエル鳥居甚之丞
【みかえるとりいじんのじょう】
区分人名
子どもの頃、小値賀で洗礼を受け、伝道に出掛けた五島で62歳のときに斬首された。
水方
【みずかた】
区分その他
潜伏時代のキリシタンの役職名で、お授け(洗礼)を受け持つ人。
水責
【みずぜめ】
区分その他
拷問のひとつで、水を限界を超えるほどに繰り返し飲ませること。
無原罪の聖マリア
【むげんざいのせいまりあ】
区分人名
カトリック教会の教えでは、人は原罪を背負って生まれるが、聖母マリアだけはこの原罪を負うことなく母アンナの胎内に宿ったと信じられている。このことから聖母マリアのことを「無原罪の聖マリア」と呼ぶ。
モンテ神父
【もんてしんぷ】
区分人名
バプチスタ・モンテ神父に同じ
ヤジロー
【やじろー】
区分人名
鹿児島生まれで日本人最初のキリスト教徒。 人を殺したためマラッカでフランシスコ・ザビエルに救いを求めた。ゴアで洗礼を受ける。フランシスコ・ザビエルを助けて日本での布教活動を助けた。正確な本名は知られていない。
ユネスコ
【ゆねすこ】
区分その他
国際連合教育科学文化機関といい、教育、科学、文化の発展と推進を目的として、1946年に設立された国際連合の専門機関である。
養育院
【よういくいん】
区分その他
養育が必要な幼児を収容して保育するための施設。
横瀬浦
【よこせうら】
区分その他
現在の長崎県西海市西海町にある港。1562年キリシタン大名大村純忠によって開港された日本とポルトガルの貿易港。ポルトガル人は「御助けの聖母の港」とよび、高台には教会も建造されたが、翌年大村氏の内紛により、町が焼け廃港となり、以後南蛮貿易は福田を経て長崎へと移った。
横浜天主堂
【よこはまてんしゅどう】
区分その他
1862年1月、開港間もない横浜居留地に最初に出来たカトリックの教会。
ヨハネ五島
【よはねごとう】
区分人名
聖ヨハネ五島に同じ。
リブ・ヴォールト天井
【りぶ・ぼーるとてんじょう】
区分その他
こうもり傘を広げたような曲面による空間構成の天井で、ゴシック建築を特徴づける要素のひとつでもある。
ルイス・セルケイラ司教
【るいす・せるけいらしきょう】
区分人名
ポルトガル出身の司教でイエズス会士。エボラ大学の哲学、神学の教授をつとめた。1593年リスボンで、禁教令下の日本の府内の司教に任ぜられ、1598年長崎に上陸した。府内は政情悪化のため、長崎を仮司教座に定め、1601年に完成した聖母被昇天教会(長崎)を司教座聖堂とした。日本人聖職者の養成と布教活動を行い、『サカラメンタ提要』(1605)をつくり、教会法の遵守、婚姻、祝日、断食などを日本の国情に適応させて整備。日本最初の信心会を組織。
1606年伏見で徳川家康に謁見、彼の在京中五畿内のキリシタンに堅信(けんしん)を授け、また本多正純、板倉勝重、細川忠興に教会の保護を求めて成功した。
翌年、五島を訪れ、貧しい信徒たちに負担をかけないように船に宿泊しながら島々を巡り、3000人に堅信を授けた。五島来島の7年後、1614年に長崎で死去。
ルイス・デ・アルメイダ
【るいす・で・あるめいだ】
区分人名
アルメイダに同じ。
ルイス・フロイス
【るいす・ふろいす】
区分人名
リスボン生まれのポルトガル人でイエズス会の宣教師。信長、秀吉の時代に布教報告者として日本で活躍したイエズス会司祭。
1563年横瀬浦に来日。その鋭い観察力で書かれた日本通信と著書『日本史』で知られる。
1597年2月に長崎で起きた二十六聖人の殉教の記録を書き、7月長崎のコレジヨで死去。
ルルド
【るるど】
区分その他
ルルドは、ピレネー山脈のふもと、フランスの南西部の小さな町の名前。「ルルドの泉」で知られ、カトリック教会の巡礼地ともなっている。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。聖母が指示した洞窟の岩の下の方をベルナデッタが手で堀り、水が湧きだすようになった。これがルルドの泉の始まりといわれている。
ルルド出現の聖母
【るるどしゅつげんのせいぼ】
区分人名
フランスのルルドに現れた聖母マリアのことを指す。聖母の出現はカトリックの用語。
列聖
【れっせい】
区分その他
カトリック教会では、生前、その生き方が徳と聖性を有していたと思われる人につき死後、申請により列福・列聖調査が始められる。手続き及び奇跡などの厳しい審査を終え、聖人の列に加えるのがふさわしいと判断されると、聖人録に登録されバチカンの聖ペトロ大聖堂において教皇司式の列聖式で聖人と宣言される。福者と違い、聖人は全世界的に祝われる。
牢屋の窄殉教事件
【ろうやのさこじゅんきょうじけん】
区分その他
久賀島牢屋の窄の迫害に同じ
牢屋の窄殉教者
【ろうやのさこじゅんきょうしゃ】
区分その他
久賀島牢屋の窄の迫害に同じ
ローマ教皇庁
【ろーまきょうこうちょう】
区分その他
キリストは弟子の中から12人を選び、ペトロをその頭として特別な使命を与えた。カトリック教会ではこのペトロの後継者がローマ司教、すなわちローマ教皇である。この教皇が執務するローマ教皇庁の所在地はローマのバチカンであり、諸官庁・諸機関を含み、また全世界のカトリック教会を統率する組織でもある。現在バチカン市国という世界最小の主権国家の中に置かれている。
ロザリオの聖母
【ろざりおのせいぼ】
区分人名
ロレンソ
【ろれんそ】
区分人名
ロレンソ了斎に同じ
ロレンソ了斎
【ろれんそりょうさい】
区分人名
戦国時代後期に活躍した日本人イエズス会員。目が不自由な琵琶法師であったがフランシスコ・ザビエルに出会い彼から洗礼を受けた。雄弁家で、精力的に宣教活動を行い、日本各地を巡り当時のキリスト教布教に大きな役割を果たした。
1563年、武将の結城弥平次、高山飛騨守、公家の清原枝賢と宗教論争をし、いずれも改宗させた。織田信長の信任の厚い僧侶日乗と、信長の面前で宗教論争をし、敗北させたことは有名。1566年にアルメイダと共に五島に入り、その後許可を得て五島で宣教し、五島に初めてキリスト教を伝えた。
浦川 和三郎著:五島キリシタン史
清水紘一著:キリシタン禁制史
中村義治発行:日本キリスト教歴史大事典
五野井隆史著:徳川初期日本キリシタン史研究
片岡弥吉著:日本キリシタン殉教史
カトリック長崎大司教区本部事務局発行:「言の波」2010年12月1日付第52号