塩どころ
更新日:2011年10月28日
伊福貴:窯主の邸宅跡。
寛文元年(1661年)、 第24代五島盛勝の叔父盛清が後見役の功労により3千石の領地を与えられ、富江領の初代領主となった。
この時、五島領内の56の村のうち、20の村を選んで富江領としたが、その中に椛島が含まれていた。
椛島を選んだ目的は、豊かな漁場と、薪や炭の材料となる生い茂った樹木、そして塩窯の存在ではないかと考えられている。
江戸時代、椛島では多くの人が「窯百姓」として塩の製造に関わっていた。
当時は、15戸を1つの単位として塩窯を構成し、12人の窯主が統治していた。
この頃、椛島は塩で年貢を納めており、北椛島・南椛島でそれぞれ1俵ずつ上納していたそうだ。
伊福貴地区にお住まいの川上弥久美さんによると、本窯地区にある先ノ組・中ノ組・村ノ組、伊福貴地区にある先聿・中聿・向聿という地名は、塩窯の名前の名残ではないかといわれている。
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