島の歴史、そして嵯峨島教会
更新日:2011年05月25日
嵯峨島教会内部。この教会は、島人の手作り。
嵯峨島で唯一の役人の家系・立谷家。
この歴史ある立谷家のご主人、立谷希利さんに島の歴史について伺った。
嵯峨島はかつて名もなき無人島だった。
そこへ罪人がひとりふたりと流されてきて 人が住み始めた。
ある時、京都・嵯峨の公家が島流しに遭い、島に定住。この島を嵯峨島と名づけたという。
時代は下り、江戸幕府から迫害されたカトリック信者が大村などから島に逃れてきた。
当時、立谷家は、幕府からキリシタンの取締りも命ぜられてていたため、彼らは立谷家から遠い不便な山に集落を作った。そして島に教会を建て信仰を続けた。
カトリック信者で、島で漁業を営む 川上力さん、田端栄さんによると、島にはかつて、キリシタン集落が2つあり、力を合わせて旧嵯峨島教会を建築。老朽化などにより、大正7年に現在の場所に建て替えた。
材料は玉之浦から艪舟で少しずつ運び、完成までに一年ほど費やしたという。
全盛期には、カトリック信徒が50戸、仏教徒が100戸、人口は300人ほどいたそうだ。
周辺案内図
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