幻の椿 玉之浦
更新日:2021年6月16日
幻の椿"玉之浦"の発見
赤い花びらを白く縁取った、五島が世界に誇る幻の椿"玉之浦"。その花姿は艶やかで、とても印象に残るものです。この"玉之浦"の発見は偶然でした。炭焼を生業としていた故有川作五郎さんがいつものように山(父ケ岳、七ツ岳)に入ったところ、そこには見慣れた椿とは違う、美しい花がありました。それこそ幻の椿"玉之浦"だったというわけです。昭和22年のことです。
玉之浦
"玉之浦"の父、藤田友一氏
五島市になる前、旧町名で「玉之浦」がありました。その玉之浦町長だった故藤田友一さんが"玉之浦"を世に広めた人です。
町民からの信頼も厚く、24年の長きにわたり町長を勤めあげた藤田さんは、余生の楽しみの山歩きで、凛と咲く椿に心をひかれていったのです。そんな折、昭和48年長崎市で全国椿展が開かれることとなり、藤田さんにも出品の依頼がありました。藤田さんは満を持して"玉之浦"と名付け、自身の逸品を出したのです。
玉之浦大橋からみる玉之浦町の風景
"玉之浦"の災難と現在
"玉之浦"は紹介されるや否や、瞬く間にツバキ愛好者の知るところとなりました。作り出すことのできない、夢のような美しさの花だったからです。しかし、その人気ぶりは"玉之浦"にとって災いをもたらすものでした。たくさんの人が枝を折ったり、根を切ったりした結果、五島の山にひっそりと立っていた母木は枯れて死んでしまいました。今はその子孫がいろんな咲き方で、世界中の人々の目を楽しませています。名前に"玉"や"タマ"とついているのが子孫です。
玉の糸