椿とキリスト教
更新日:2019年9月13日
五島とキリスト教との関わり
下五島へのキリスト教伝来は1566年とされ、室町時代末期にあたります。これは、領主宇久純定が修道士を招いたことに始まります。
純定の子、純尭は自ら洗礼を受け、その後島内を布教してまわり、信者を増やしていきました。このように五島はキリスト教に寛容なところでした。
福江教会
隠れキリシタンと五島崩れ
江戸の鎖国時代、キリスト教の信仰は禁じられていました。
熱心な信者は五島へ移住し、潜伏信者(隠れキリシタン)として信仰を続けました。しかし、迫害の追手は終に及び、「五島崩れ」など悲劇的な事件が起きましたが、ひたすら教えを守りぬき、今に至ります。
牢屋の窄殉教記念教会
椿とキリスト教の関わり
五島にあるカトリック教会堂のステンドグラスを含めた内部装飾には独特の特徴がみられます。ヨーロッパのカトリック教会堂に対し、五島では規則的に、表現したものが多くみられます。
市内のいくつかの教会堂のステンドグラスには椿が用いられているとの謂われがあります。また、周辺に椿が植栽されている教会堂も見られ、五島では、生活や信仰の上でも、とても身近な植物となっています。
ステンドグラス