長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

更新日:2020年8月21日

  • 江上天主堂(奈留)

  • 江上教会堂の内部

日本における木造(もくぞう)の教会の中でも歴史的価値(れきしてきかち)が高く、日本を代表する教会建築家(きょうかいけんちくか)・鉄川与助(てつかわ よすけ)による設計です。クリーム色の外壁(がいへき)や水色の窓枠(まどわく)がかわいらしい建物(たてもの)で、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。過疎化(かそか)が進み、信者数(しんじゃすう)はわずかですが、大切に守られています。

  • 旧五輪教会堂(久賀)

  • 旧五輪教会堂の内部

外観(がいかん)は和風、内部はゴシック様式(ようしき)という明治初期の教会堂建築史(けんちくし)を物語る貴重(きちょう)な教会堂です。今残っている明治初期の教会としては、五島市の教会では最も古い建物です。2度の解体(かいたい)の危機(きき)がありましたが、信徒(しんと)たちの熱い思いにより、それをまぬがれました。国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。

参考ホームページ:世界遺産の島 五島市

堂崎天主堂(奥浦) 注:構成資産外

堂崎天主堂(奥浦)

現在(げんざい)の天主堂は、ペルー神父(しんぷ)によって明治41年に建てられた五島最古の洋風建築物(ようふうけんちくぶつ)であり、遠くイタリアからも資材(しざい)の一部が運び込まれたと言われています。
赤れんが、ゴシック様式(ようしき)は、ヨーロッパの典型的(てんけいてき)な教会スタイルで、昭和49年県の有形文化財(ゆうけいぶんかざい)に指定(してい)されました。内部にはかくれキリシタン時代の資料(しりょう)が展示(てんじ)されています。

久賀島 牢屋の窄

久賀島 牢屋の窄殉教記念協会

明治元年(がんねん)に始まった迫害(はくがい)で、久賀島内の信者が捕らえられ、たたみ12枚分の狭(せま)い牢(ろう)に200人あまりが押し込まれました。たたみ1枚あたり15人という狭さで、足は地につかず、横になることもできず、身動きができない状態だったそうです。
信者の多くは約8カ月で解放(かいほう)されましたが、指導的立場(しどうてきたちば)の信者はその後2年余り捕らわれたままでした。飢(う)えや病(やまい)、拷問(ごうもん)のため39人が死亡し、牢(ろう)を出た後も3名が命を落としました。それでも信仰(しんこう)を守り抜いたひたむきな思いが、この場所にある「信仰の碑(ひ)」から伝わってきます。

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