久賀島の集落
更新日:2019年2月26日
久賀島の集落は、潜伏キリシタンが五島藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らのかたちで信仰を続けた集落です。
外海地域から久賀島へ移住した潜伏キリシタンは、在来の仏教集落から離れた場所を開拓して集落を形成する一方、農業や漁業などの作業をともに行うことで仏教集落との住民とも互助関係を築き、密かに自らの信仰を続けました。
「信徒発見」後、久賀島の潜伏キリシタンは密かに大浦天主堂の宣教師と接触し、信仰を告白するとともに教理の指導を受けました。宣教師との接触により久賀島の潜伏キリシタンは公然と自らの信仰を表明するようになりました。
しかし、1868年に五島列島一円で弾圧が行われ(五島崩れ)、久賀島では狭い牢屋に多数の潜伏キリシタンが監禁され、42名もの殉教者が出ました(牢屋の窄事件)。
久賀島はキリスト教解禁の直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所であり、牢屋の窄事件が起こった場所には、殉教者を弔うための聖堂と記念碑が建てられ、久賀島のカトリック信者にとって今なお禁教期の記憶の場所となっています。
島内の集落には、禁教期から続くキリシタン墓地も残され、また、解禁後は各集落に次々と教会堂が建てられていきました。
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